告白 ただしコピペ

いい記事も読み流されていく。再度、読み直されていい記事を精選した。

主人とした回数よりも、義理父とした回数の方がはるかに多い 4/4(私は義父の子供を産む決心をしました)

近親相姦掲示告白 2002年1月

http://www.incestlab.com/index2.html

 

 

主人とした回数よりも、義理父とした回数の方がはるかに多い 4/4

 

 

  私は義父の子供を産む決心をしました

義父との関係7 投稿者:ゆきこ  投稿日:03月23日(土)05時16分15秒

  主人との間にできた長男を出産後、私は義父とのセックスにますますのめり込んでいきました。子供が産まれてからは主人も週末に家に帰ってくる機会が増えましたので、主人ともセックスはしていました。いつのまにか主人とのセックスでは満足できない体になっていました。主人とのセックスが終わった後、義父に抱かれたい気持ちで一杯でなかなか寝られませんでした。

  出産後、私は基礎体温を測るようにしました。妊娠中のセックスでは避妊をする必要がありませんから、いつも中出しでした。そのため義父はコンドームを付けるのを嫌がったからです。基礎体温を測り危険日とその周辺だけコンドームを付けるようにしたのです。私自身も義父とセックスをするようになってから、コンドームを使ってのセックスはあまり好きではありませんでした。

  というのも、その頃、義父が「ゆきちゃんが僕の子供を生んでくれたらなあ」とか「ゆきちゃんに僕の子供を孕ませたいなあ」なんていうことを言うようになっていたのです。私からすれば受け入れられる話ではないですから、聞き流すようにしていました。しかし、いつも中出しをしているうちに私の中で、義父が射精する瞬間に「もしかしたら義父の子供を妊娠するかもしれない」と思うことに、妙な興奮を覚えるようになていたのです。

  いつのまにか義父が射精する瞬間に異常なほどの興奮を感じるようになり、場合によっては義父が行った後、私も行ってしまうことがあるくらいです。私は生理がほぼ定期的にきますので、危険日も予測しやすかったのです。だんだんと慣れていくうちにコンドームを使う期間が短くなっていきました。

 

  その頃は主人が地元の支店に戻っており、義父も退職をしておりましたので、義父とのセックスはもっぱら昼間に限られていました。長男を出産してから約2年半後、つまり7年前の5月に私は妊娠していることが判りました。生理が予定日を10日過ぎてもきませんので、妊娠検査薬で調べたところ、バッチリ妊娠サインが出てきました。その瞬間、お腹の子供の父親が義父であると私なりに確信を持ちました

  思い当たる日があったからです。その日は朝から2人ともやる気満々でした。私と義父は子供が寝ついたのを確認してからベッドインしました。朝食後のセックスです。昼間のセックスは妙に興奮します。その日は危険日でしたがコンドームが切れていてありませんでしたから、義父に「お義父さん、今日は危険日ですが、コンドームがないので、外で出して下さいね」とお願いしました。

  私は義父の上に乗っていました。義父が行きそうになると「ゆきこ、行きそうだ」と言って自分のモノを私のアソコから抜こうとして慌てているのです。その姿が可笑しかったので、私は義父をからかい中々抜こうとしませんでした。今までも危険かなと思った日でも中出しをして大丈夫でしたから、その日も多分大丈夫と思い、抜こうとしている義父の上で、私はさらに激しく腰を前後上下に動かしたところ、あっけなく義父が私の中で果ててしまったのです。

  結局その日は朝、昼、夕と3回セックスをしましたが何れもいつもどおりに中出しでした。多分、その時に出来たのかなあと思いました。その頃私の気持ちの中にある変化が起こっていました。私は主人と義父と2人の人を愛しているのかなあと思い始めていました。スポーツの苦手な勉強家の主人と違い、根っからのスポーツマンである義父のような「体育会系」の人の子供を生んでみたいとも思っていました。

 

  私自身ある競技で高校時代に県大会でベスト3に入りインターハイにも出場した経験があるので、なおさらそう思っていたのかもしれません。悩んだ末に義父に妊娠のことを伝えたところ、予想を遥かに越えた悦び方でした。「ゆきこ、有難う。有難う」と言って大喜びでした。私は義父に2つの条件を出しました。1つはこのことは2人だけの秘密にしておくこと、もう1つは長男と生まれてくる子に対し対等に分け隔てなく接することの2つです。

  義父は生んでくれるのなら、どんな約束も守ると言ってくれました。私は義父の子供を産む決心をしました。主人にも妊娠をしていることを伝えました。私は「安全日だと思っていた日がどうも危険日だったらしい」と言ったところ、主人も喜んでくれましたので、主人には申し訳ない気もしまいした。再び義父と妊婦とのセックスが始まりました。おまけに義父はコンドームを使わずにすむので、二重の喜びでした。翌年の1月、2人目の男の子が産まれました。

 

 

 

50年ぶりに、妹の中に精液を吐き出した

妹 投稿者: ヤス  投稿日:01月12日(土)00時00分57秒

  中学2年の時、小学6年の妹と初めてセックスをした。学校から帰ったら、家に誰もいなくて、妹が一人で昼寝をしていた。ブルマからはみ出した太ももがむっちりとして、ブラウスの胸元から胸のふくらみが半分見えて、僕は思わず股間が膨らんだ。妹の胸を触り、パンツの中に手を入れて見た。もう毛が生えていた。その中心の湿った穴に指を入れると温かくて、なんともいえない感触だった。

  指を動かしていると妹が目を覚ました。「お兄ちゃん、何をするの」と飛び起きた。僕は、もう我慢が出来なかった。妹を押し倒して、パンツを剥ぎ取り、僕のぎんぎんになったものを妹のおまんこに突き入れた。うまく入らず、動いているうちに、精液がどくどくと出た。妹の下腹から太ももに吐き出された。

  妹はびっくりして動きを止めた。しばらく妹のマ○コをいじっていたら再び勃起して、ついに妹の中に入れて、また、精液を吐き出した。それから、毎晩のように妹とセックスをした。

 

  やがて、2人とも別々に人生を歩み、それぞれ結婚して、数十年が過ぎた。妹の夫が亡くなり、三回忌が行われた。みんなが帰った後、僕だけが妹の家に泊めてもらうことになった。あれから50年、僕は65歳、妹は62歳になっていた。飲みながら積もる話をしているうちに、あのころのセックスの話になった。

  いつの間にか50年のタイムスリップをして、2人はあのころの田舎の子供に返った。気がついたら、2人は、全裸になって重なってつながっていた。妹の夫の仏壇の前で、2人は、汗みどろになって腰を動かした。やがて僕は耐え切れなくなり「行くよーっ」と声をかけて激しく腰を振り、どくどくと妹の中に精液を吐き出した。妹は「お兄ちゃんー」と言って僕を抱きしめ、腰をがくがくと痙攣させて足を突っ張った。

  50年ぶりに、2人は再び近親相姦をしてしまった。

 

 

 

僕の上に、ノーパンの妹が乗ってそのまま合体

妹は良い 投稿者:Taki  投稿日:01月16日(水)00時33分18秒

  僕の妹は小学生で見た目は大人っぽいけど、アソコはまだ子供で毛もほとんど生えてない。顔はモー娘の飯田っぽい、キツめの美人顔。背も高めで胸は小学生としては大きい方だと思う。

  僕が妹に手を出したのは妹が小学3年生だった時。まだぜんぜん子供だったから、入れる事なんて出来なかったけど、縦筋だけのあそこをいじると、子供ながらに感じていて、凄く興奮した。それからずっと妹にエッチなことをし続けて、色んな事を教えた。

  お風呂に入る時はいつも一緒だったから、石鹸をつけた指でマンコや乳首をいじってやると、妹は可愛い声で喘いでチンポを小さな手で握ってきた。すぐに手コキやフェラチオを覚えさせて、精液もいつも飲ませていた。風呂ですることが多かったから、顔や身体に掛けるのも多かった。

  胸が膨らみ始めた頃は、胸を触られるのを嫌がったし、何度か、「こういうことはもう止めよう」と妹が言い出すこともった。でも僕は止めなくて、無理矢理妹にエッチなことを続けた。妹も諦めて僕に抵抗することも無くなった。それどころか、以前よりも積極的になったりもした。

 

  初めてセックスをしたのは、妹が6年生になった時。胸もかなり膨らんで、子供っぽさよりも、女っぽさが目立ってきた頃だった。「今日はいつもと違うことするから」と言ったら、妹は「入れるの?」と言って自分から足を開いた。指でいじって濡らしたあそこに、先っぽを押し付けて、ぐいっと押し込んだ。

  狭くてなかなか入っていかなかったけど、僕はとても気持ちよかった。「痛い! 痛い!」 妹は叫んだ。アソコは切れて血がたくさん出てとても痛がって泣いた。少し可哀相に思ったけど、僕は自分が気持ち良い事でいっぱいだった。妹は生理がまだだったので、生で中出しだった。僕は妹の中に、どくどくと大量の精液を注ぎ込んだ。

  妹は泣いていたけど、「お兄ちゃんが気持ち良いならいいよ」と言って、僕の精液と自分の愛液と血で汚れたチ○ポをフェラしてくれた。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。

 

  最初は痛がっていた妹も、5回目ぐらいからは気持ちよく感じるようになったようで、僕が言うと自分で腰を振るようになった。セックスをするようになってから、さらに僕たちの行為は激しくなった。

  僕も妹もエッチなことに溺れた。より激しい刺激を求めて、過激なことをするようになった。夜の公園でフェラをさせたり、ベンチに座った僕の上に、ノーパンの妹がスカートをめくって乗ってそのまま合体したり、コンビニのトイレでまでエッチした事がある。フェラさせただけだったけど、僕はすぐにイッてしまった。

  通販でローターを買ったり、それを入れたまま一緒に外出して、スイッチを入れたりした。電車の中でローターのスイッチを入れると、妹は僕にしがみついてきて、ぷるぷる震える。僕は妹のスカートの中に手を入れて、クリトリスをぐちゃぐちゃに弄んだりした。とにかく色んなエッチをした。こんなことをしていて、よく誰にもバレなかったものだと思う。

 

  僕は大学生で一人暮らしをしてるから、今はほとんど会えない。でも時々連休の時などには新幹線で泊まりに来るので、その時は思う存分エッチを楽しんでいる。電車賃は僕が肩代わりすることになるので大変だけど。

  僕が帰省した時は、両親の目を盗んで2人でエッチに耽っている。正月も妹と初詣でに行ったのだが、その時も人ごみの中で妹のあそこを弄んでいた。妹は中途半端にいじられてもやもやした気分だったようで、神社を出てから、公園のトイレでセックスをした。少し寒かったが、妹は声を出して感じまくっていた。

  誰か人が来ないかと心配だったが、僕も激しく興奮して妹の中に大量に出した。妹はまだ初潮になっていない。胸も大きいし、成長は早いと思っていたのだが、大人っぽい子が生理が早いとも限らないらしい。だから毎回中出ししている。

  帰り道、妹はマ○コから僕が出した精液があふれてくるのがエッチだと言っていたので、家に帰ってきてからも、親にバレないように声を殺してセックスした。思い出してみると、年末年始には妹の中に10回以上も出したらしい。いきなり生理が始まって妊娠してしまうという心配もあるのだが、妹とする時は今まで一度もゴムをつけたことがないので、生でする以外は考えられない。

  いつまでもこんな事が続くとは思わないが、やれる間は楽しんでおこうと思う。

 

日本の絶景

金峯山寺蔵王奈良県吉野町) 写真の正面の大きな建物。桜満開のころ一目千本。

  金峯山寺(きんぷせんじ)は、修験道(しゅげんどう)の本山。本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角(えんのおずぬ)と伝える。

 

本堂(蔵王堂)

  豊臣秀吉の寄進で再興されたもので、扉金具の銘から天正19年(1592年)の建立とわかる。高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートル。木造の仏堂としては全国屈指の規模(特に高さ)の建物である。